商家秘録 大玄子 著



産業商家の道は国土の財宝を通じ、余れるものをもって不足の国に交易する。
商家は士農工商 四民の下に居すといえども、大いに四民の用を弁じている。
中でも米穀は人間が一日も欠かすことができないもので、米価の高下掛引の一部始終において、仁義を離れては利を得ることはない。
貪欲を第一にし、小利に迷い、本筋を外れて、米相場で利潤を得た者はいない。

米相場によって功を立てようと志す人は仁義礼智信五常を忘れず、陶朱公の方法に即して富を成すべきである。
米相場を志すなら本書を熟読して、儒者が大悟道を得るように一心大丈夫にして鉄石のごとく、たゆまず 変ぜず 迷わず に売買掛引の理を考えるなら、中らずといえども遠からじ。
しかし、この書は多くの人を教えるためのものではない。自分の覚書であり二、三人に与えるものである。   大玄子 書


一 諸商売の論
諸商売 品々多しといえども利潤を求めて仕事をすることにかわりはない。
売の字は買いの字に十一を加える。これは十の一を得ることを定法とする意味で、これは一割である。
しかし、多く売買できる商品は わずか一歩の利を得ることで家業としている。
商いが少ない、あるいは品物が減損する商品では、高利を得なければ家業にできない。すべての人がそれぞれの理を守って渡世を油断なく励めばいずれの道でも立身出世できないことはない。
古の諺にも 小富は勤めにあり、大富は天にあり という。
勤めていれば富まなくても貧窮の憂いはない。
これに対し、大いに富を得ることは 運に乗じ時を得なければ できることではない。
人間は一生の内で、こうした立身出世の運に乗ずるチャンスが必ずあるものである。
この時をはずしてはいけない。

とりわけ米の帳合商い(米相場)は高下 目たたく間を待たず、貧富も目たたく間に替わってしまう。
動かない時は一日 五日 十日に限らないし、大変動、日柄の狂いも予測することはできない。

これは物に例えれば 灘を走る船のごとくである。
船に乗るには三つの慎みがある。
一 油断 二 不功 三 不敵 である。
油断より乗り遅れや過ちをなす。不功より日和を見損じ、難所を調べない。不敵により大風に高帆を開いたままにし、大波なのに荒乗りする。
これらの行為により災害が多くなる。
優れた船乗りは油断なく、信心堅固の心をもっているから過ちが少なく、千里も一日で走破する。また重宝に万民の要を達するのは船以上のものはない。

米商いもこれと同じで、
油断より 利を取るべき時を忘れ、損を見切り逃げる時を外し、利に乗じて米を多く仕入れる時を失い、
不功より 仕掛けの商いに覚悟なく、思い入れの立て方も人気に迷って思慮浅く、臨機応変の掛け引きに疎い。
不敵により 大高下のとき、身上不相応の大俵米を恐れずに仕込んでしまい、少しの変動で持ちこたえができず利益になるべきところを損で手仕舞いしてしまう。
また、底値を売り込み、天井を乗せる。これは勝ち戦に長追いして伏せ勢にあたり、かえって敗北するのと同じである。

真に上手い船乗りの油断ない掛け引き、安全な渡海を勤める時は、災害は少なく利益は多いものである。
熟練した船乗りでも天の時を得なければ過失を犯す時もあるが、不功者の船乗りのように大事に至らす、心に油断なければ、無事に湊に帰りつくこともできる。

総じて損する人の多くは 欲と迷い によって売買することに原因がある。
五厘一分二分の小利をねらって売買を仕損じ、天井と底を心がけて取るべき利益を取らないで、無になすことが多いのである。
だから、欲と迷いを離れ、一途に相場の高下を進退すべきである。

大立身を急がず、時を待つ の心を成し、己の分際相応 気の痛みにならないように心掛けるべし。

米の帳合商いは虫入り、升減り、倉敷の損失もなく、利益になるときは、際限のない富を得られる宝の市というべきものなのである。


* 林輝太郎先生の「相場の道 松辰遺稿・現代語訳注」第2編五常の説にこの『商家秘録 大玄子 著』がでてくる。原書を持っているので、時間があるときに現代語に書き直してみるつもりである。
そのほうが、著者 大玄子の言わんとしていることが より理解できるようである。 相場戦略研究所 管理人




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