花の都はたそがれて

相場社会の話になりますとホロ苦いものになります。
商社マン相場師の中では一世を風靡したTさんは、お酒が入りますと
『あれをごらんと指さすほうに・・・』とやるのです。藤田まさと作詩の“大利根月夜”です。利根の流れを流れ月、昔笑うて眺めた月も・・・
と、恐らく自分の運命を相場師の勘で、判っていたのかもしれません。

大きな仕手戦を勝ちきって、どれほど会社に貢献したか判りませんが、たった一度のしくじりで子会社に飛ばされました。

調子のよいとき、ともすれば人を人とも思わぬ勝負師特有強気の振る舞いがTさんの上司や同僚の反感を買っていたのです。

将棋の升田幸三さんは勝負師が嬶子のことを考えていたら天下は取れんと言っていましたが、Tさんも家の中は目茶苦茶だったようです。しかし、家庭を犠牲にしても自分は会社に儲けさせているという気負いがどこかにあったようです。

たしかに冴えわたる相場の判断力は天下一品でしたが、資金は会社のものです。商社というバックがあって情報網も調査機能も抜群で、世間の見る目があってのTさんです。
いわばサラリーマン相場師、組織の中の相場師です。
充分わきまえてはいますが大勝利が続くと自分ひとりの力と思うわけです。

Tさんが飛ばされたあとのことは下り坂を転げて落ち、
あれほどの切れ味もただの凡人、曲がって曲がって自宅も手張りで飛ばしたということです。(鏑木繁 先物罫線より)

アパッチ族の滅亡

花火みたいなもんでしたわ。
こないだの晩、天神さんの日ですわ。
空にポンポン威勢よう打ち上げられる花火を見てましてな、ポンと上がってパッと消えてまう、まるでわたしらと一緒やなあ思いましてん。

ちょうど二年前の今日でした。八月六日、忘れませんな。突然、ガラが来た。一年近く買うてきて、やっと一万八千を超えたところで、崩れてもうた。
たった一週間でっせ、一週間ですべてが吹っ飛んでまった。

「小豆ですね」

四十八年の下げ相場でやられた。

そう、アパッチ族の滅亡です。

売るに売れないんです。買い手がつかない。
もう止まるだろう、もう止まるだろう、そう思っているうちに儲けはすべて消えたんです。

儲けどころの話じゃない、足を出してしまった。

ションベンがコーヒー色になりましてな。

「でも一年近くは楽しい思いをしたんだから、いいじゃないですか」

いや、そうじゃないんです。
ガラの来た八日間の長かったことにに比べれば、そんなもんアッちゅう間でした。

死のうかと思いました。

この世界から足を洗おうとも思ったけど、洗って何ができるわけじゃなし、
学歴も何もないわたしらができるのは土方ぐらい。
この世界にしがみついているよりしゃあない。

借金をこさえてもうて、この借金、相場以外でどうやって返せますねん。
それに好きですしな、やはり。(沢木耕太郎 鼠たちの祭より)


○最も儲けた男の話

 ある証券会社を定年退職した男がいた。定年で退職するのだから内勤である。
相場か好きでこの社会に入ったのだが、戦争に行き、復員すると直ちに元の証券会社に戻った。そして三十年たった。
 その証券会社は名前こそ変わってはいるが、100年の歴史をもっている。
そして、その男はその100年の中で最も儲けた男といわれ、祝福されて退職した。
 昔は株が好きでこの社会に入ったものだった。<中略>
 その証券会社の100年の歴史の中では、一時は大儲けした人も数知れずあったことだろうが、いずれも栄華は長くは続かなかったのだ。

 そして、その男が復員してきた頃には、戦前の生き残りの 
「株に一生を賭けた」 という年寄りがまだいたのである。

 そういう荒波をくぐってきた人たちに、懇々と、この街で生き、そして売買で成功するには、キワモノやゲテモノ(流行株や材料株)を追わず、銘柄をしぼれ といわれたのだ。

 そして定年まで守り通した。だからこそ有終の美をかざれたのである。
 問題は銘柄である。
 山日鉱(日本鉱業)と同和山(同和鉱業)との二銘柄だけと聞いた。
 このふたつとも、現在は派手に動いている。

 しかし、動き始めたのはこの2~3年のこと。この男が退職するまでは、それこそ動かない株の代表といわれたものだったらしい。

 それを、『 100円で買い 』 『 130円で売り 』 を続けただけなのだ。
 同じ銘柄を続けるということは、下値の限界だって見きわめがつきやすいし、会社筋の買支えが入ったのではないか、ということだってわかるようになるだろう。
 上値だって、こんどは前の高値を抜くかもしれないということが おぼろげながらもわかるようになるだろう。
 こういう、「うねり」 を取ってきたのである。(林輝太郎著「株式上達セミナー」p33)


 晩年の薮田忠次郎は難波橋畔で薮田鉱業所の看板を掲げ、室内に鉱石を二つ、三つ転がし、中村不折の扁額を眺めて心穏やかな日々だった。

時折、相場を知らせる電話が入った。
老兵は少しばかりの玉をいじっていたが、ほんの小遣い稼ぎにすぎなかった。
(鍋島高明著 日本相場師列伝p87)


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