商家秘録 その7


十四 思惑のない商い 仕掛けるべからず

方針のない売買を仕掛けてはならない。
仮に小掬いのつもりで仕掛けた場合は、最初から損失を見積もっておき、見込み違いなら損切りで早く手仕舞いすべきである。
僅かの建玉であっても、そのままにしておいては肝心の方針が定まらないだけでなく、自分の建玉を守ろうとして増し玉し、大損となるものである。
だから、方針のない売買は決して仕掛けないことである。


十五 間違いは早く改めるべきこと

まじめな商人が米相場を蛇蝎のように嫌い、戒めるのは理由がある。
僅かの資金で多量の米を売買できるから、すぐに大儲けできるし、あっという間に大損になるものである。

普通に商売をしていた者が米相場に目をつけて、派手な生活や女遊びをしたいがために、親の金をかすめたり、主人の大切な金を使い込む事例は枚挙にいとまがない。

世の中の王侯から士農工商にいたるまで、皆それぞれの勤めがあって、その本職を守れば家は長久である。
その守っていくべき家業をを忘れ、邪な心をもって米相場に手を出すものに天は勝利を与えるはずがない。
最初から損をして身を誤ることは明らかであるから、先祖から伝わる家業を持つ人は米相場に限らず、すべての相場に手を出してはならない。

欲に目が眩んで冷静でない心で相場を張ったなら、たとえ最初に幾分か利益を上げても、結局は身の破滅を招くものである。
知らぬ小判商いよりも、知りたる小糠商いがまし という古くからの諺のとおりである。

しかしながら、相場に手を出して大損になり、損を取り返そうとして さらに損を重ね、ついには身上を仕損じてしまった。多少は相場の経験を積んだのに、真剣に相場に取り組む心は起きず、貯えも使い果たした時、俄かに日が暮れて暗くなったように後悔して相場を止めてしまうものである。これも間違いである。

初めに損をした時に、速やかに相場から手を引くことがもっとも良い。

だが、財産をつぎ込んでしまった段階で相場を止めてしまっては、もはや取り返しはつかない。
相場を続ければ、いつかは元の境遇にもどって心安らかに暮らせるかもしれないのだ。
そうした境遇に陥ってしまった時は、十死に一生を得る思いで 世間のことに関わらず、粗末なものを食べ、身にぼろを纏おうとも 一心不乱に相場に取り組んで、損を取り返し、以前の生活に戻るのだと志を定めるなら、念力岩をも通すというように、ついには願いがかなうということもあるだろう。

また、先祖より米相場に関わる家は、この論の限りではない。もっとも、幼少より深く米相場の道をさとすべきである。





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